教皇の指輪が“印章”だったってご存じでしたか?
※残念なニュースですが、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が88歳で逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

(画像:Shutterstockより)
▲在位中のフランシスコ教皇が着用していた「漁師の指輪」。金メッキされた銀製で、中央にはシンボルが刻まれています。
世界の歴史に名を刻む「ローマ教皇」。
その象徴として知られる「漁師の指輪」は、実はかつて“印章”として使われていたことをご存じでしょうか?
私たち印章を専門に扱う者にとって、この指輪が持つ意味は非常に興味深く、印章文化と深く通じるものがあります。
今回はこの「漁師の指輪」について、そして日本にも存在した「指輪印章」の歴史も交えながらご紹介します。
教皇の「印」としての役割
漁師の指輪(Anulus Piscatoris)は、かつてローマ教皇が署名した文書に押印する“印章”として使われていました。
いわば教皇の日本で言う“実印”です。
この役割は歴史的に確認されており、1842年まで教皇の私的文書や簡潔な公文書(パパル・ブリーフ)に押印されていたと記録されています。
※出典:Wikipedia「Ring of the Fisherman」
漁師の由来と指輪の意匠
「漁師の指輪」という名前は、カトリックの初代教皇とされる聖ペテロに由来しています。
聖ペテロは、もともと湖で漁をしていた普通の漁師でしたが、のちにイエス・キリストの一番弟子となり、教会をつくる中心人物として知られるようになりました。
そのことから、歴代の教皇は「人々を導く漁師」としての役割を受け継いでおり、その象徴が「漁師の指輪」と呼ばれるようになったのです。
実際の指輪には、小舟から網を投げるペテロの姿が彫られていたり、鍵や十字架などの模様が使われることもあります。
- 鍵:信頼を託された証として。
- 十字架:信仰を表す大切なマーク。
こうしたデザインには、それぞれ意味が込められていて、ただの飾りではなく「教皇としての務め」や「信仰の象徴」を表しています。
日本でも、たとえば蔵書印や記念の印などには、家紋や個人のこだわりをデザインに込めることがあります。
また、落款(らっかん)では、自分の雅号や想いのこもった言葉を使うなど、印に“その人らしさ”を込める文化が根付いています。
「漁師の指輪」もそれと同じように、持つ人の役割や信念を形にした印章といえるでしょう。
※出典:Britannica「Fisherman’s Ring」
日本にもあった「指輪型印章」
実は日本にも、かつて指輪に印面を仕込んだ「指輪印」が存在していました。
江戸時代から明治にかけて、特に武士や商人が身分証明や携帯の利便性を目的として使っていたとされています。
印面には家紋や紋様が彫刻され、装飾品と実用品の役割を兼ね備えていました。
その文化は現代にも引き継がれており、印鑑機能を持つシグネットリング(印章指輪)として今も製作・販売されています。
象牙製のシグネットリングも存在した
さらに興味深いのは、かつてシグネットリングの印面部分に「象牙」が使われていたという点です。
西洋においては、中世から近代にかけて、金や銀に象牙を嵌め込んだ高級印章指輪が存在していました。
彫刻のしやすさと、仕上がりの美しさから、象牙は貴族や上流階級の身分証明として理想的な素材だったのです。
※出典:International Gem Society「History of Signet Rings」
印章としての役目と儀式
ローマ教皇の漁師の指輪は、15世紀以降に公印としての役割を他の印章に譲り、1842年に実用的な使用は終了しました。
しかし現在でも、教皇が亡くなると儀式として指輪が破壊されるという伝統が残されています。
これは印章の効力を正式に失わせる行為であり、日本の“印鑑登録の抹消”にも通じる考え方です。
※出典:Britannica「Fisherman’s Ring」
印章文化の普遍性
漁師の指輪も、日本の実印も、「人の証」として機能してきた歴史ある道具です。
形や使い方は異なっても、「印章が信頼や身分を示す道具として用いられてきた」という考え方は、多くの文化に見られます。
最後に
ローマ教皇という世界最高位の宗教指導者が使っていた「漁師の指輪」は、まさに世界で最も格式の高い“印章”のひとつ。
日本にも同様の思想で生まれた指輪型印章が存在していたことを思えば、印章が果たしてきた役割の重さがよりリアルに感じられます。
こうして見ていくと、印章とは、単なる道具を超えて、人の歴史や想いを静かに語り継ぐ“かたち”なのだと、改めて感じます。