昨日のブログ山梨県にはハンコの里がありますの続きです。
簡単におさらいしますと、山梨県にはハンコの里六郷という町があり、そこには多くのハンコ屋さん、そして印章従事者の方々が存在しています。
そしてそのシンボルとして「日本一の巨大はんこ」が存在し、そのお隣に印章資料館という建物があります。
ってのが、昨日のお話でした。
山梨の印章資料館は印章の歴史の宝庫でした
中に進みますと、ご年配の方が奥から出迎えてくれました。
失礼ながら、どういったお立場の方なのかをお聞きするのを忘れてしまいましたが、齢80数歳。
非常に印章の歴史に詳しく、私も自分の立場を明かした上でいろいろお話をお伺いました。
身分を明かしたからなのかどうかは定かではありませんが、館内の撮影もブログ掲載もご快諾いただきましたので、以下にご紹介したいと思います。
まず驚かされたのが、その資料の充実ぶりでした。
目移りとはこのことかもしれません。
最初に目を引いたのは水牛の成り立ちでした
いろいろ興味深かったんですけど、これはみなさんにも多少関係しますかね。
印章の素材には水牛があります。
その削り出される工程が見られました。
私も資料で見たことはあったんですけど、実際に現物を見たのは初めてでした。
まずは黒水牛。
右上が最初で、左下に行くにつれて日頃みなさんにも馴染みのある黒水牛に削り出されていきます。
次に白水牛
少し前まで「オランダ水牛」と呼ばれてましたので、その名残が表記に残ってます。
そして削り出す詳しい工程まで展示されていました。
非常に手間暇がかかているのがよく分かります。
こういった材料1つ取っても、職人さんの手がちゃんと掛かってるんですね。
ハンコ屋さんなら誰もが知ってる小林斗盦(とあん)先生の作品群
ちょっとこちらも驚きましたね。
一般の方にはなかなか馴染みは薄いのかもしれませんが、小林斗盦先生という方がいらっしゃいました。
私もこの方の作品はよく見ていましたし、様々な辞書や篆刻のDVDなども発行されていた、篆刻家初の文化勲章を受章された方。
その方の作品群が飾られていました。
個人的にはちょっと感慨深いものがありましたね。
と、言いますのも職人時代ずっと作品を見ていた憧れの方。
その当時はまだご存命でしたが、上野で開催された日展を見に行った際、小林斗盦先生ブースを拝見していると、ちょうどご本人にお会いできたんですね。
嬉しくて握手していただいちゃったりして♡
当時からミーハー♡
それだけじゃないんです。
その小林斗盦先生が師匠とされていた、石井雙石(そうせき)先生。
この石井雙石先生も紫綬褒章等の名誉ある賞を受章された篆刻家で、その作品の1つが鈴印にもあります。
こちらがその刻字です。
鈴印の看板として店内の一番良い場所に君臨しています。
そしてそのその著書「篆書指南」は今でも事あるたびに開いています。
とまあ、何かとご縁を勝手に感じている方の作品を久々に拝見し、来た甲斐あったな〜なんて感じてました。
水晶も手彫りでした
恥ずかしながら私、存じ上げませんでした。
水晶って昔からサンドブラストを使って彫ってると思っていたんですが、機械を使わず彫れるんですね。
館内には、私が常日頃行っている象牙とかの手彫りと、水晶の手彫りの制作工程の展示もありました。
上が象牙で、下が水晶です。
ちなみにこちらの工程ではサンドブラストを使ってますが、その昔は全て手彫りだったとのことです。
いやはや、あんな硬い素材を手で彫るなんて・・・
しかもあの細かい法人印でさえも・・・
いやはや、頭が下がります。
まとめ
ちょっと見てすぐ帰るつもりだったんですが、なんだかんだで1時間以上お話させていただきました。
私もプロとしてそれなりの知識を持っているつもりでしたが、80歳を超える方の知識と比べたらまだまだヒヨッコでしたよ。
やはり私のようにどこかで伝え聞いた話と、実際に体験された方では言葉の重みも違います。
ですから私も少しでもその知識と経験を盗もうと必死に色々お伺いしちゃいました。
その中で印象的だったお言葉があります。
「元々この六郷は草履を作っていました。そして人々が時代の流れと共に草履を履かなくなり、そこで水晶が採れる特性とそれまでのものづくりの技術を活かし、現在のはんこの街に変貌を遂げました。最近私は世の中は80年周期で大きく変わるように感じます。そして今がちょうどその大変革の時です。そこで新しい流れを見つける者が残り、見つけられない者は廃れていってしまうのかもしれませんね。」
今回の一番の財産は、この言葉だったように思います。