鈴印は現在創業87年、いわゆる老舗と呼ばれるお店に入ります。
ちなみに老舗の定義を調べてみますと、東京商工リサーチでは、創業30年以上を「老舗」と定義 しているようです。
また帝国データバンクでは創業100年以上、私自身もここは今、一つの目標となっています。
鈴印が創業したのは昭和7年。
元号が昭和→平成→令和と移り変わったこの時期だからこそ、創業当時の話も忘備録として書いておきたいと思います。
鈴印初代、鈴木茂延物語
創業まで
鈴印の歴史は、私の祖父鈴木茂延によって「鈴木印舗」としてスタート。
私もそもそもの疑問としてあったのは、なぜハンコ屋という職業を選んだのか?
そこにはこんな理由があったそうです。
茂延は生まれつき足が悪かったため、立ち仕事は除外。
私の記憶でも祖父は非常にオシャレでした。
非常に仕立ての良さそうなスーツを着ていたり、赤いレンズのメガネなんかもかけていた記憶もあります。
そんな理由からなのか、最初は理髪店を考えたようです。
ところがやはり足の問題から断念。
そして座ったままできる仕事として、当時は人気だったのでしょうか?
この印章店という職業を選んだそうです。
私もそうでしたが、専門職をはじめるには前提として技術と知識が必要です。
そのため近所にあった印章店に丁稚奉公と呼ばれる住み込みで師匠の身の回りの世話をしながら技術を学びました。
当時のことをいつも懐かしそうに話す茂延。
「あの当時は本当辛くてな。涙が上に流れるって分かるかい?師匠の前で泣くと殴られるから、風呂桶の底を洗ってる時にこっそりと泣くんだ。下向いてるだろ?だから涙が上に流れるんだよ。」
他にも最初の一年はそこの子供をおんぶしながら砥石をひたすら研ぐだけとか、食事は一番最後で冷たくなった釜底のご飯を剥がした食べたとか、まあいつも多少の脚色をする人でしたから、どこまでが真実かは不明ですけど、幼い私には強烈なインパクトを残したのは間違いありません。
だって今でも覚えてますから。
昭和7年創業
そんな時を5年続け、身につけた技術を元に昭和7年にこの場所で「鈴木印舗」として創業。
昭和7年をちょっとだけ調べると、昔歴史の授業で習った「五・一五事件」などが出てきます。
ちなみに第二次世界大戦勃発の7年前という、想像するしかない世界。
どの創業者もそうなのかもしれませんが、お店を開いたからといってすぐにお客さんがきてくれるわけはありません。
そのため近所を1件1件御用聞きに歩いて周り、断られることを繰り返す。
「最初に注文をもらった時の嬉しさは、今でも忘れられんよ。」
修行時代の文句とは打って変わって(笑)、その時は嬉しそうでした。
非常に頑固でもあった茂延は、1つだけ絶対に譲らなかったことがあったそうです。
それが今も脈々と受け継いでおります会社の理念「確かな技術」。
信用と実績を重ね、徐々に徐々にお客様に足を運んで頂けるお店にになっていきました。
ところがようやく上向きになってきたその頃、第二次世界大戦勃発。
空襲で辺り一面全て焼け野原。
まあここからの話は私も散々聞いてきましたが、長くなるので割愛します。
いわゆる戦後復興期に、持ち前の負けん気で見事再建。
「あそこのハンコは間違いない」と
地域のみなさまからの信頼もさらに厚くなり、最盛期で10人以上のお弟子さんを抱えるまでに至ったそうです。
お店も何度か改築を重ねて、昭和41年頃の写真が前回掲載したこちらの写真のようです。
最後に
時は流れ昭和46年。
私の父晴夫が入社したのを機に、「有限会社鈴木印舗」と法人化。
私が生まれる4年前の話です。
改めて鈴印の歴史を紐解くと、戦前の話になるんです。
当時私自身も冗談で「お年寄りの戦争の話は長い」なんて言ってましたけど、それだけ強烈な体験だったのでしょうね。
またそれに合わせていつも言っていた言葉を思い出します。
「ハンコってお客さんが人生の中で一番大切な時に使うものだろ?そんな時にきちんと押せないとお客さんに恥かかせちゃう。だからじいちゃんは一生懸命手抜きしないで彫るんだよ。」
まさに鈴印の理念と合致しています。