全ての事業を始めるに当たって、最初に必要となるのが実印です。
ですから、鈴印には「これから事業を興す」方がいらっしゃるワケなんです。
ただ最近は、これから創業されるって方と同じ位「事業を継承される」お客様もいらっしゃいます。
こんなお言葉と共に・・・
「そろそろ私も年ですからね、そろそろ息子に会社を任そうかと思いまして。私が創業した時にこちらでお世話になって、おかげさまで仕事の方も順調に行っておりますのでね、何とか無事継承してもらいたい想いも込めて今回もまたよろしくお願いします。」
まさに強烈に身が引き締まる思いです。
だってそのご依頼頂いた当時は、親父や祖父の代な訳ですからね。
そして最近ではこんなご質問を頂く事もあります。
「鈴印さんは本当スムーズに事業継承されましたよね。一体いつどんなタイミングでどんな風に、その継承をされたんですか?」
実は私にとっては意外なお言葉なんですよね。
だってスムーズに継承できたとは実はあまり思っていないですし、そもそもきちんと継承できてるのかすら甚だ疑問なんですから。
でももし私の体験がご参考になるならと、少しだけお話させて頂いてる事をこちらでもご紹介したいと思います。
まず結論から申しますと当社の場合、役割分担がはっきりしていて、それぞれに継承せざるを得ないタイミングがあったからだと考えます。
それにはまず、鈴印の役割分担ですね。
親父とお袋の代では、こんな考えで役割分担をしておりました・・・
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鈴印のトップの仕事は大きく分けて2つあります。
1つは社長業、そしてもう1つは経営業。
えっ?一緒じゃないの?
って思うかもしれませんが、それにはこんな理由があります。
親父はどちらかと言いますと職人気質の強いタイプの社長でした。
どうやったらよりカッコいいハンコを彫れるようになるのか?
どうやったらハンコの価値を上げる事ができるのか?
どうやったらお客様にご満足頂けるのか?
「俺はそこに全力を尽くす、だからそのために判断を迷わせる数字の話はするな!」
ま、会社の大きな方針を決めるのが社長の仕事ですから、そういった意味では親父は社長でした。
そして常に数字を把握し、親父の思いつくままに進む方向性を後ろで舵を握っていたのが母でした。
そういった意味では経営をしていたのは母になりますね。
ある時いつも何の迷いもなく決断する母に、その迷わない理由を聞いたことがあります。
「毎日数字を見てるとね、全部分かるのよ。」
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そんな感じで感覚的に新しい発想を繰り返す親父と、その親父を自由にさせつつ決して間違った方向には進ませない母の両輪で進んでいくお店のスタイルを見ながら、ベストパートナーだな!なんて思いながらも、その絶妙なバランスゆえに一向に任されない日々に大きな不満を抱えながらも生活を送っておりました。
そんな私に転機が訪れたのは今から約7年前
きっかけは親父の病気の発覚でした。
予想以上に大病であるため相当な大手術、聞けば1ヶ月は退院は無理との事でした。
当時は親父なくしてはお店は成り立たない程、その存在感は絶大でした。
ま、悪く言えば、様々な重要事項が親父の感覚頼りだったため、他誰にも分からない頭の中のマニュアルが多数存在していたんですね。
私も彫ったり接客したりの実務は行っておりましたが、いかんせんただ従うだけの立場でしたし、入社して約3年のまだまだ半素人。
入院する親父、それに付き添う母と2人いなくなってはどうにもなりませんでした。
そのために入院までの期間、徹底的にその親父の頭の中のマニュアルを分析し、全て資料にしました。
※その時の資料は未だに鈴印のメインマニュアルとして息づいております。
とまあ、家の中はそれこそ未だかつてない未曾有の危機とばかりに混乱しまくっておりましたが、実はその陰で密かに私は「ようやく俺の出番が来た!」
なんて不謹慎にも意気揚々としておりましたからね(笑)
息子なんてそんな物なのかもしれませんよ!
しかし!1ヶ月は途方もなく長いです。
その間、数字の方は毎晩母が帰宅後整理してくれたので、安心して私は1ヶ月社長業に専念させてもらいました。
が、しかし、現場はそんなに簡単な訳にはいきません。
毎日毎日、必ず難題を突きつけられるのです。
それまでなら「社長に相談しておきます」作戦で全てを乗り切っておりましたが(笑)
1ヶ月となるとさすがにその作戦も通用しません!
だってお客様は質問の回答を、1ヶ月もの間待っては頂けませんからね。
つまりその間、親父がしていた仕事の全て、その中でも最も重要な「決断」を変わりにやらなければいけなかったのです。
でも今思えば、散々悩みながらも過去の事例と照らし合わせ、何とか「決断」をし続けた日々は、まさに歴史の継承をするための最初の試練の場だったのかもしれません。
しかし、これだけではまだまだ終わりません。
その当時は全く予想だにしない、更なる試練が待ち受けておりました!
ちょいとドラマチックに締めつつ、つづきはこちらから・・・