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恩人

  1. 社長ブログ
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みなさんも恩人という言葉を聞いて、何人か頭に思い浮かぶでしょう。
私も同じように多くの人を思い浮かびますが、その中でもいつも必ず一番最初に浮かぶ人がいます。

恩人

その人は鈴印の2件隣にあった、モチモチの木という居酒屋の気さくなママさんです。
最初訪れたのはお酒を飲むようになってすぐだったと思うのですが、正直あまり良い印象がありませんでした。
言葉が直球なママでしたし、一緒に飲んでたのはとにかく怖かった親父でしたので「親子にしちゃ随分よそよそしいね」なんて言葉に少しカチンときたりして。

月日が経ち、再びお店を訪れたのは修行を終えて地元に帰ってから。
宇都宮を離れて10年以上経っていましたし、あまり古い友人を大切にしない私でしたから、友達が全然いなかったんです。
当時のモチモチの木はビジネスホテルも兼ねていて、その管理をしているお兄と呼ばれる、私の少し年上の気さくな超面白い先輩がいました。
お兄はビジネスホテルにお客さんが来る時以外はモチモチの木で飲んでいましたから、私も話し相手を求めて飲みに行くようになったんです。
気がつけばママがいない時も勝手に2人でお店に入って、ビールを開けていたりもしていました。
もちろんお金は払いましたけど。

それをどこからか聞きつけた親父や家族も週末は合流するようになり、気がつけば家族ぐるみのおつきあいになっていきました。
正直あまり混んでいなかったし、料理は美味しいし、お兄は話が面白いしで、居心地の良い空間でした。
仕事をしてジムに行き、帰りにモチモチの木に寄って飲んで帰る、そんな日々が何年間か続きました。

転機

その時は突然訪れました。
お袋が倒れました。
最悪命を落とすかもしれない、もし助かったとしても今まで通りの生活はできない。
数日が経ち、なんとか一命を取り留めたお袋でしたが、入院は短くても半年とのこと。
問題は食事です。
親子揃って料理はできませんし、心配して帰ってきてくれた妹もいきなり3食は大変。
そんな様子を見かねてか、モチモチのママが一言。

「よし!お母さんが帰ってくるまで私が晩御飯作ってあげるよ。でも気にするんじゃないよ。私が好きで勝手にやることだからね。」

最初は感謝よりも驚きの方が大きかったです。そんな人がいるんだって。
とはいえですよ、失礼ですけど半年なんて難しいことだと思ったんです。
だって他人ですよ?
それにお金を払うわけでもない。
密かにどこかで終わる日が来る、そう思っていました。
ところが・・・

毎日毎日電話があるんです。
「ご飯できたよ。取りに来な。」
休日だろうが関係なくそれが続くんです。
数ヶ月経つと親父は「もう飽きた」とか言って食べないしw
でもなんか残すのが忍びなくて、結局いつも最後は私がそのチャーハンを全部食べてましたね。

そして遂におふくろの退院日。
もちろんその日はモチモチの木でお祝い。
結局その日まで、1日も休むことなく晩御飯を用意してくれました。

ここからはあまり記憶が定かではないのですが、きっと親父のことですから、ママに精一杯のお礼をしたと思うんです。
でも私自身がお礼を伝えた記憶がない。
その後すぐモチモチの木が駅東に移転する話を聞いたことはよく覚えています。
自分の中でもルーティンが消えることや、お世話になって人が遠くに行く残念さで、無性に寂しくなりました。

「駅東に行っても絶対にまた行くから」
そんな私の言葉は、結局なかなか果たされません。
宇都宮在住の方はよくわかると思うのですが、駅を越えて飲みに行くことって気持ちのハードルが高いんです。
またその頃は私も友人も増えていて、そいつらと飲み歩く生活に変わってきていたからです。

おそらく駅東に移ってからは、10回もいかなかったかもしれません。
行くたびにお詫びをするも「気にするんじゃないよ」
以前と変わらない、相変わらず優しくもぶっきらぼうな物言いでした。

新聞

私はあまり新聞を読むタイプではありませんでした。
でもとある先輩がどこかに「下野新聞のお悔やみ欄を読むのは栃木県人の風習」と書かれていて、それを機になんとなく読むようになったんですね。
若い頃はそこに載るのは知らない人ばかりで見る意味がわからなかったんですが、歳を重ねるとともに、稀に知っている人の名前が出てくるようになる。
とりあえずそこだけでも、からスタートした新聞は、気がつけば毎日の習慣になりました。
これまでお世話になったあの人がお悔やみ欄に載っていないことを願いながら。

もちろん毎日読むわけじゃありません。
一面があまり興味がないと、それだけで放置する場合もあります。
その日もたまたまでした。
いつも読む時間を過ぎ、お昼の弁当を温めている空き時間に、なんとなく手にとって開きました。
するとそこにママの名前がありました。

最初は同姓同名を信じました。
結構珍しい名前なので違う可能性は低いと思いつつ、住所も確認しました。
残念ながらママに間違いありませんでした。

葬儀

不思議なものです。
その日は数ヶ月前に別の誘いを受け、県外に泊まりに行く予定でした。
行きたくて仕方がない誘いだったのに、なんとなく気乗りしなくて断ってしまったんですね。
そしてその日がママのお通夜でした。

さすがでした。
いつも時間ギリギリで向かうのですが、式場は入り口から人が並び、結局中には座れず。
式場の外に立つ数十人の間に紛れ、壇上に飾られる当時の写真を見ながら、ひっそりと時を過ごしました。
でも逆に良かったのかもしれません。
立ち位置を気にしたり、周りの会話が耳に入ったりと、思い出に集中しなくて済んだからです。

これまでの経験から、最後にお顔を見に行くのは女性の方が多いように感じます。
実際に私も、顔を見に行くことまでは滅多にしませんから。
でもママは別でした。
多分最後に駅東のモチモチの木を訪れたのは、5年以上前です。
久々の再会でしたし、ちゃんとあの時のお礼を言いたい。
多くの人が並ぶ中、いよいよ私の番。
さっき住職が「亡くなった後もしばらくは、嗅覚と聴覚は残るから、声をかけてください」との言葉を思い出しました。

棺の中に入る、あの時より少し痩せたママに、ちゃんとお礼が言うことができました。
「気にするんじゃないよ」
そんな声が聞こえたような気がしました。

最後に

結局自分でコントロールできることなんてほとんどなく、大きな見えない力に動かされていることを感じました。
1つのとても残念なお別れでしたが、清々しい気持ちになれたのは、きっとママの器の大きさなのでしょう。

あんな人になりたい。
そんな人でした。

鈴印

〜印を通してお客様の価値を高めたい〜

鈴木延之
代表取締役:株式会社鈴印

1974年生まれ。
A型Rh(+)

1932年創業、有限会社鈴木印舗3代目にして、現プレミアム印章専門店SUZUIN代表取締役。専門店として、印章(はんこ)を中心としたブログを毎日発信。本業は印章を彫る一級印章彫刻技能士。
ブログを書き出したきっかけは、私の親父が店頭で全てのお客様に熱く語っていた印章の価値や役割そして物語を、そして情報が散見する中で印章の正しい知識を、少しでも多くのみなさまに知っていただきたいから・・・
だったのに、たまに内容がその本流から全く外れてしまうのが永遠の悩み♡

一級印章彫刻技能士
宇都宮印章業組合 組合長
栃木県印章業組合連合会 会長
公益社団法人全日本印章業協会 ブロック長

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