「王道」
昔から好きな言葉でした。
自分の方向性に迷った時には「これは王道か?」で決断していたものです。
だってなんとなく正統派感があるじゃないですか。
王道を行くって。
だから新しい何かを検討している時に、これは果たして王道か?それとも邪道か?なんて基準の捉え方をしていました。
今回改めてこの言葉の意味を調べたんですが、結構意外な事が分かったんです。
2015年1月24日に公開したブログですが、出典等の明記がないことがわかったため、2023年6月17日に追記とリライトをしました。
王道の対義語は?
改めて調べ直してみると、当ブログが出てきました^^;
まず結論から申し上げますと
王道⇔覇道
私自身はこれまでずっと、「王道」の対義語は「邪道」だと思ってました。
調べていくと様々な解釈があって、邪道も決して間違いじゃないようですが・・・
でも確かに感覚的にも「覇道」がしっくりくるし、ロマンを感じます。
ちなみに2015年1月24日のWikipediaにはこのような記載があります。
王覇
孟子は古今の君主を「王者」と「覇者」とに、そして政道を「王道」と「覇道」とに弁別し、前者が後者よりも優れていると説いた。
孟子によれば、覇者とは武力によって借り物の仁政を行う者であり、そのため大国の武力がなければ覇者となって人民や他国を服従させることはできない。対して王者とは、徳によって本当の仁政を行う者であり、そのため小国であっても人民や他国はその徳を慕って心服するようになる。故に孟子は、覇者を全否定はしないものの、「五覇は三王(夏の禹王と殷の湯王と周の文王または武王)の罪人なり。今の諸侯は五覇の罪人なり。今の大夫は今の諸侯の罪人なり」(告子章句下)と述べて5人の覇者や当時群雄割拠していた諸侯たちを痛烈に批判し、堯・舜や三王の「先王の道」(王道)を行うべきだと主張したのである。
Wikipediaより
王道と覇道があって、それぞれ王者と覇者があって、どっちが王者かっていうと、威張ってる人より慕われる人が王者ってこと。
つまり王道とは「みんなから慕われる人が進む道」って感じなんでしょうかね。
2022年6月17日の時点で上のwikipediaは改編されていましたので、改めて調べていこのような出典を見つけました。
【王覇】おう‐は
〘名〙 仁徳をもって政治を行なう王道と、武力をもって国を治める覇道。また、その人。王者と覇者。
※曾我物語(南北朝頃)五「魚の腹をひらきて見れば、書有り。『西伯とらはれ羑里(ゆうり)。てうてうしははしかしよに。みなわうはたる。敵に死をゆるす事なかれ』」
※閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉王覇も臣隷もなき響「王覇(ワウハ)もなく臣隷もなき混沌たる太古の響である」
コトバンクより
つまり政治の行い方で、仁徳を持って行うのが「王道」で、武力を持って行うのが「覇道」。
大きな意味としては違っていないことがわかります。
さてここまできて、この話題に俄然興味が湧いてきました。
だって「王道」「覇道」「邪道」ですよ。
このフレーズを聞くと、私はあのマンガを思い出さずにはいられません。
王道と覇道と邪道
言わずもがな、我々世代はみんな読んでいた。
そして「お前はもう死んでいる」のフレーズは、今の小学生でも知っています。
そう・・・
覇道
もうワタクシの永遠の憧れラオウ様に他なりません。
ただし、覇道を突き詰めるとこうなる恐れもあります。
ブラック企業♡
邪道
「ジャギ」という名前からも「邪義」を想像してしまいます。
こちらもやはり・・・
ブラック企業♡
王道
もうこの方を置いて他には考えられません。
Wikipediaにあるように「徳によって本当の仁政を行うもの」
ただし王道も良いことばかりでもないようです。
いつも水がない。
貧乏になりがち♡
最後に
こうしてまとめてみるとワタクシ自身、北斗の拳の影響を受けて「王道」とか考えていることがわかりました。
やはり幼少期の体験は、その人間の核を作っているようです。
改めて王道について考えるなら、孟子の論語を読んでもいいですけど、やっぱこっちだよな。
上のリンクは、2022年4月発売の新エピソード入り。
ラオウを倒した後、大人になるリンとバットと再会する間の物語。
王道を学びたいあなたはぜひ♡