木を見て森を見ず
昔からあることわざですね。
実はワタクシも昔から意識している言葉です。
木を見て森を見ずとは、物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うこと。
故事ことわざ辞典より
やっぱものづくりの中でもワタクシの仕事は小さいですからね、どうしても細かい部分に意識が行ってしまうんですよね。
でもこれってものづくりだけじゃないですよね?
例えば
一流サッカー選手は、観客席から見ているようにフィールドが見える!なんて言いますし
一流のバッターは、ピッチャーの動きの一部ではなく全体をなんとなくぼんやり見て球種を読む!なんて聞きます。
運転してても、例えば車庫入れがうまい人って、上から見てるイメージで入れる!なんて言いますね。
逆に下手なヤツは、足元のボールしか見てないし、ピッチャーの腕の振りガン見してるし、車庫入れなんかどこも見てない♡
要するに、細かいトコばっか意識してないで、全体を見ろってことでしょう?
でもね〜いくら意識してても集中し過ぎるとどうしても、細かい部分に意識が行ってしまいます。
運転しててもスピード出すと視野が狭くなるかのように。
ま、何が言いたいかっていうと、昨日色々あって色々叱咤激励を受けましてね。
視野が狭くなってたんですね。
だからその時にこの言葉を思い出したんです。
でね、そもそもこのことわざが悪いんじゃないのか?なんて思ってんですよね〜
ほぼヤツあたり♡
だって、コッチのが良くね?
木を見ず森を見ろ!
だってね「木を見て・・・」なんて言われるから、木を見ちゃうんですよ!
で、後から「お前森を見てないだろ」なんて言われてもね〜
先に言えや!って感じ
やっぱヤツあたり♡
だからね、最初から言ってくれたらいいんですよ!
木を見ず森を見ろ!
ってね。
そう言ってくれれば「木を見ない」「細かいトコに集中し過ぎない」って最初に意識するってモンですがな。
こんな感じで。
「どうしたらいいんだろう?どうしよう?ワケわかんなくなってきたぞ・・・(汗)」
「そうだ!木を見ててはいけないんだ!」
ほらっ!
まとめ
人間どうしても同じことが長く続いたり出口が見えなくなったりすると、焦りというか迷宮入りというか、ワケわからなくなって視野が狭くなります。
そんな時「木を見ず森を見ろ!」って意識にするだけでも、結構解決したりすると思うんですよね。
でも結局、余裕がある状態を維持していないと、どうしても陥りやすくなるんでしょうね。
ま、それには色々悩みを繰り返して経験値を踏んで、心を鍛えないといけないんでしょうけどね。
結局は心の強さって、経験積まないと強くなりませんからね〜
っていうか、そんなことより今気づいたんですけど
「木を見て森を見ず」
「木を見ず森を見ろ」
ちょっと無理があるかな?
だってね、「て」と「ず」を入れ替えるだけでいいんじゃね?
そうすると・・・
「木を見ず森を見て♡」
可愛くなっちゃった♡